NYの片隅から日本の片隅へ。

2017年8月からアメリカのNY州フレドニアで交換留学をしていたモラトリアムがちな女子大生が日本に帰国してから色々と考えたり間違ったりする奮闘記。

何に向かっているのか。

 

 

自分を良くしよう、留学していたときの気持ちと体を取り戻そうと始めた

 

 

 

毎日ランニング+ヨガ

 

 

 

 

今の所順調に続けられている。

 

 

 

 

留学していた時には何よりも優先していたランニングは、こっちに帰って来てからも細々と続けていたけど、

 

 

 

やっぱり環境も、走れる時間帯も変わって来て、

 

 

 

思うようには走れない日が続いたこともあった。

 

 

 

 

でもそうするとやっぱり何が一番変化するかって、

 

 

 

それは体。

 

 

 

 

疲れやすい、眠れない、起きれない。

 

 

 

 

自分の体からどんどん崩れて行って、

 

 

 

 

最後は精神が弱くなる。

 

 

 

あとは自分に言い訳して、例えば「今日は食べすぎて動けないから」「時間がないから」

 

 

 

やらない理由をたくさん並べていた。

 

 

 

 

だから先週の土曜日から、

 

 

 

 

強制的に毎日やる。それだけを考えた。

 

 

 

どんなに疲れていようが、夜遅くになろうが、時間が少なかろうが、

 

 

 

 

とりあえずやる。

 

 

 

何も考えずにウエアを着て、シューズを履いて、外に出る。

 

 

 

 

人間は悲しくも感情にいかようにも左右されてしまうから、

 

 

 

一旦やりたくない、無理だと思ったことは、

 

 

 

心がブレーキをかける。

 

 

 

 

だからそんな心が何かを考え始める前に、体を動かす。

 

 

 

 

そうすればもっとスムーズに習慣にできる。

 

 

 

 

走り始めてちょうど一週間。

 

 

 

 

毎日の目標は帰りが遅くなる木曜日と金曜日をのぞいてクリアできた。

 

 

 

 

ヨガにもできるだけ時間を取るようにしている。

 

 

 

 

それを続けていたら、色々な所に結果が出てきた気がする。

 

 

 

 

まずは夜寝れるようになったこと。

 

 

 

 

これが一番大きな成果だと思う。

 

 

 

 

実は帰ってきてから睡眠サイクルが崩れ始めて薬を処方してもらっていた。

 

 

 

 

飲むと次の日にも眠気が残って過眠になって、結局また夜に寝れなくなっていた。

 

 

 

 

ランニングを続けていたら薬の量も半分で良くなり、夜しっかり眠気があって、寝れるようになった。

 

 

 

それから朝起きるタイミングも早くなって、起きていられるようになった。そのおかげでできることも増えて、少し前向きな活動ができている。

 

 

 

 

次に体、特に肌の調子が良くなってきた。

 

 

 

 

これは運動と、実は食べる習慣も少し変えた影響だと思う。

 

 

 

以前は朝起きれずに朝食が取れず、そのまま昼に起きて昼食、夜は食べるか食べないかという生活になっていた。

 

 

 

その結果肌荒れがひどく、肌の明るさも少し暗くなっていた気がする。

 

 

 

 

毎日見る自分の肌がきれいかどうかは、その日の気持ちにも関わってくる。

 

 

 

だから肌の調子が悪くなると鏡を見るのが嫌になるし、そうすると自分の表情もどんどん暗くなってしまう気がした。

 

 

 

 

ここ数日はきっちり3食食べる、エネルギーとビタミンを考えて食べる、を実践しているから、

 

 

 

前に比べると肌の調子も良くなって、ニキビが少なくなってきた気がする。

 

 

 

鏡の前に映る自分も、少し表情がよくなった実感もある。

 

 

 

 

肌の色、ハリはまだ以前とは同じにはなっていないけど、

 

 

 

このまま様子を見て、ケアもしていきたい。

 

 

 

 

ここまで書くと順調なスタートのように思えるが、

 

 

 

ランニング+ヨガの習慣を始めて良い面もあれば、悪い面もある。

 

 

 

 

それは、体の調子に伴わない自分へのストレスが増えたこと。

 

 

 

 

体は運動をしていてスッキリしているはずなのに、自分の現状を考えるとあまりストレスが解消されない気持ちになる。

 

 

 

 

 

主な原因も、対処法、というか克服法はわかっている。

 

 

 

 

 

だから今後の課題は、

 

 

 

 

 

体のバランスを整えるのと並行して、自分の現状も少しずつ変えられてストレスを緩和できるようになること。

 

 

 

 

 

来週は「未来への行動」

 

 

 

 

を意識して、引き続きランニングとヨガ、それにいろんな行動を加えて行こうと思う。

 

 

 

 

 

 

今日は結構完結して書けた、かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

おしゃべりな人の本音。

 

 

 

 

振り返ってみると私は子供の頃からおしゃべりだった気がする。

 

 

 

 

常に誰かと話していたかったし、話を聞いてもらえるのが大好きだった。

 

 

 

 

でも今まで自分がおしゃべりだと思ったことはあまりなかった。

 

 

 

 

 

私のイメージではおしゃべりな人=話し出したら止まらない迷惑な人、だったから。

 

 

 

 

でも日本以外の国に住んでみて、日本語以外で話す文化に触れてみてわかることは、

 

 

 

 

 

日本人の考えるおしゃべりな人と、他の国にいておしゃべりだなと思う人の性質というか、定義が全然違う気がする。

 

 

 

 

例えば私が体験したアメリカでいうと、

 

 

 

 

おしゃべりな人=話が上手い人、頭のいい人、社交的な人、になる。

 

 

 

 

そして、おしゃべりの定義というか、基準もかなり高くて、

 

 

 

 

例えば病院の待合室で隣になった人に話しかけて、10分やそこら何気ない会話ができるような人のことはおしゃべりとは言わない。

 

 

 

 

その程度は誰にとっても日常茶飯事で、社会常識になっている。

 

 

 

 

それ以上におしゃべりな人といえば、四十六十話が止まらずに、とうとう行きつけの大型スーパーの店員全員と名前で呼び合いその日の特売品を教えてもらえる仲になれるようなひとのことを言う。

 

 

 

一昔前の買い物に行くなら八百屋や商店街が当たり前だった日本だったら同じような人はたくさんいたかもしれないし、そんな人のことをおしゃべりとは言わなかったかもしれない。

 

 

 

でも今の世の中スーパーに行って店員と親しく話すようなことはほとんどないだろうし、名前を知っている人なんていることの方が珍しい。

 

 

 

 

だからアメリカでのおしゃべりな人、もといはコミュニュケーションが超得意な人とも言えるかもしれないけど、

 

 

 

 

そんな人はこの国では絶滅危惧種。もっと悪くいえば変人の値にされる。

 

 

 

 

 

アメリカに行く前の私はそんな絶滅危惧種な人を見るとちょっと迷惑だな、うるさいなと思ってしまいがちだった。(自分が同じような人種であることは少し感じていたけどうまく隠そうとしていた)

 

 

 

でも、あっちに行ってみて、スーパー超おしゃべりな人種をこの目で見て、終いには自分でも自然とそのおしゃべりの世界に突っ込んで違和感がなくなったなと思った矢先の日本への帰国だったから、

 

 

 

 

帰ってきてから今でもすごく違和感がある。

 

 

 

 

 

話していたいのに相手がいない。どこに出かけても誰もが真顔で、

 

 

 

 

サービスは申し分ないのに距離感があって、笑顔の後ろで何を考えているの?

 

 

 

 

そんな気分がする。

 

 

 

 

職場でも話しかけられる人は限られているし、ほとんどは話したくないオーラというか、顔が真顔になって少し怖い。

 

 

 

 

 

ほんの2ヶ月前まではおしゃべり人種だった自分が、

 

 

 

 

日本に帰ってきてからいきなり鳥かごに押し込められて、口にテープを貼り付けられている気分。

 

 

 

 

「余計なことは話すな。面白くても顔に出すな。」

 

 

 

 

 

 

自分で自分をそう縛っているのかもしれないけど、

 

 

 

 

 

 

完全にそんな雰囲気がこの環境には漂っている。

 

 

 

 

 

周りに超スーパーおしゃべり人間もなかなかいないし、

 

 

 

 

 

 

この溜まったおしゃべり欲は、どう消費すればいいの?

 

 

 

 

 

 

 

おしゃべりな人の、静かな本音。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刺さる。

 

 

 

 

誰かの発した何気ない言葉が刺さることはよくある。

 

 

 

 

他の誰かにとっては全然なんともない言葉なのに、

 

 

 

 

 

 

発した本人でさえ自分が言ったことはすぐに忘れるようなことなのに、

 

 

 

 

 

 

言われた相手、つまり私にだけ気になってしょうがない言葉。

 

 

 

 

 

 

 

私の今のNGワードがこれ、

 

 

 

 

 

 

何しに留学行ったんですか?

 

 

 

これからどうするんですか?

 

 

 

就職どうなりましたか?

 

 

 

 

 

 

 

言われるだけで

 

 

肺から空気が渡らなくなって、気管が詰まって息ができないような、

 

 

いきなり顔を水に突っ込まれてそのまま溺れそうになるかのような、

 

 

 

 

 

とにかく心をえぐられるような気持ちになる。

 

 

 

 

 

 

簡単に答えようと思えばいくらでも受け流せるはずで、

 

 

 

 

 

実際に作り笑いを浮かべながら

 

 

 

 

英語の専門的な勉強とインターンをして来たよ。

 

 

 

これから外資系の企業にあたってみるつもり。

 

 

 

 

こんなかっこいいことも言える。

 

 

 

 

 

でも心の中では、

 

 

 

 

 

もしかしたら別に遊んで来ただけだった?

 

 

 

逃げるために留学した?

 

 

 

外資系なんて今この状態の自分に入れるわけない?

 

 

 

 

そんな疑問と、焦りと、罪悪感で心の中は真っ暗で、

 

 

 

押しつぶされそうになってる。

 

 

 

 

やって来たことが認められることなんてそうそうなくて、

 

 

 

 

 

実は別に大したことでもすごいことでもない。

 

 

 

 

 

時がたてばたつほどそんな思いで、自信も、希望も、生きがいも無くなりそうで

 

 

 

 

 

 

苦しいってずっともがいてる。

 

 

 

 

 

 

 

そんな夜に見つけたこの記事。

 

 

 

wsbi.net

 

 

 

こんな人もいるんだって、

 

 

 

 

私もちょっと気持ちが楽になった。

 

 

 

 

 

蒸し暑い7月の夜。

 

睡眠と生活。

 

 

 

 

前に心と体のバランスを崩した時、

 

 

 

 

 

 

一番最初に始まって、最後まで治しづらかったこと。

 

 

 

 

 

 

それが、睡眠。

 

 

 

 

 

 

寝る前になるとどんどん不安と焦りが込み上げて来て、

 

 

 

 

 

 

それを見て見ぬ振りをするために何か別な作業をし始めて、

 

 

 

 

 

例えばテレビを見るとか、携帯を使うとか。

 

 

 

 

 

そうすると一時的には考えてることも忘れられて、

 

 

 

 

 

 

別なことに没頭できるけど、

 

 

 

 

 

やっぱりその分睡眠時間も質もどんどん落ちてきて、

 

 

 

 

 

 

結局寝付けるのは2時3時になる。

 

 

 

 

 

そうすると起きる時間もそれに従って遅くなる。

 

 

 

 

 

 

こうなると生活のサイクルが崩れ始める。

 

 

 

 

 

起きた後のだるさはもちろん、

 

 

 

 

 

1日の半分を無駄にした気持ち。

 

 

 

 

 

前回はそれが本当に負の循環を作り出して、

 

 

 

 

 

自分を取り戻すのにかなりの時間をかけちゃった。

 

 

 

 

 

太陽の光を浴びない生活。

 

 

 

 

 

どんどん自分が嫌いになっていく、嫌悪感と罪悪感でいっぱいになる生活。

 

 

 

 

 

こんなことしたくないのに、やめられない。

 

 

 

 

 

 

それがなくなったのはいつだったか。

 

 

 

 

 

最終的には薬の力にも助けられて、

 

 

 

 

 

 

やっと落ち着いたと思ってたのに、、、

 

 

 

 

 

 

しかも留学中はいろんなストレスとは無縁の生活ができて、

 

 

 

 

 

自分の体調のコントロールもうまくできてたはずだったのに、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにきてまた同じようなサイクルを繰り返すようになるとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう少し自分を自分でコントロールできるようにならないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

二度あることは三度ある。

 

 

 

 

 

 

 

それは承知だけど、

 

 

 

 

 

 

 

 

三度目はしっかり自分で対処できるよに、

 

 

 

 

 

 

二度目の今もうまく軌道に乗せて気持ちも体の調子もコントロールできるようになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

願うことと止めること。

 

 

人生の停滞期はいつでも同じような周期で訪れる。

 

 

 

 

自分を隠して努力ができないと思うと、どこにも進めない気がしてくる。

 

 

 

 

 

特に自分を律するのがとても下手な私だから、

 

 

 

 

 

 

環境でどうにでも変わってしまう。

 

 

 

 

 

 

もう少し大人になれる場所か、思いっきり自分を認められる場所にいれば、

 

 

 

 

 

そんなこといつも思って

 

 

 

 

 

 

結局自分の力じゃないから戻って来てしまう。

 

 

 

 

 

 

 

向かいたい場所も、存在したい場所も、

 

 

 

 

 

やりたいことも、

 

 

 

 

 

自分をかけられることも見つかってるはずなのに、

 

 

 

 

 

 

 

それに立ち向かうぐらいの努力が私にできるかどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、高校一年生の時。

 

 

 

 

 

担任だった先生が言っていた。

 

 

 

 

 

「人間って、やる気を頑張って自分で出そうと思っても出ない。

 

 

 

 

 

実はやり始めてしまった方がすぐに出てくるもの。」

 

 

 

 

 

 

 

実際その通りだと思う。

 

 

 

 

 

自分がやる気を出すまで待つのは実は全く効率の悪いことで、

 

 

 

 

 

 

とにかく何も考えないでやり始めるのが一番早いし、

 

 

 

 

 

意外と長くつづけられる。

 

 

 

 

 

 

 

でも、これは自分への慰めとして言っておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

できなかった、やる気になれなかった過去をいくら振り返って後悔しても、

 

 

 

 

 

その時間も、その時の気持ちも戻ってこない。

 

 

 

 

 

 

だから、いついかなる時も、

 

 

 

 

 

たとえ何か間違ったり、自分を甘やかしてしまう瞬間が出て来たとしても、

 

 

 

 

 

そのことを後悔するんじゃなくて、

 

 

 

 

 

その後に自分を褒めてあげられるようなことをすればいい。

 

 

 

 

 

 

そして、少しづつまた、

 

 

 

 

 

 

自分の反応速度をあげていって、

 

 

 

 

 

 

 

ピークを探してそこに持っていけるようにすればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せの持続期間。

 

 

 

 

 

自分の今の悩みを書き出すと、意外と少ない。

 

 

 

 

 

 

例えば卒論の方針だったり、

 

 

 

 

 

 

就職先だったり、

 

 

 

 

 

 

将来どこで暮らすかだったりする。

 

 

 

 

 

 

 

そこそこ焦っているようで、

 

 

 

 

 

 

実際はそんなに考えるのも疲れるから、適度に抜いてるのが現状。

 

 

 

 

 

周りの波に乗せられないように、

 

 

 

 

 

 

自分の軸をしっかり持って、

 

 

 

 

 

 

 

 

できることから進めていけばいいのかなって。

 

 

 

 

 

 

 

多分21の自分にはそれができなかったから、

 

 

 

 

 

 

 

 

潰れて起き上がれなくなってた。

 

 

 

 

 

 

24の自分は

 

 

 

 

 

もっと周りを幸せにすることで自分の幸せも叶えられるような、

 

 

 

 

 

 

自分に一本軸の通った人間になりたい。

 

 

 

 

 

 

 

今日のこと。考えること。

 

 

 

ここ2、3日で状況も感情もいろんな方向性を見れるようになった気がする。

 

 

 

 

 

今までは早く全部を決めなきゃいけない、終わらせなきゃいけないっていう義務感と焦りで逆にどんどん自分を追い込んで、

 

 

 

 

留学で得たものとか、以前の自分の違いとかを考えたり、前向きに意識したりできなかったけど、

 

 

 

 

 

 

一旦自分のことを俯瞰してみて、

 

 

 

 

 

今できること、

 

 

 

 

 

自分が本当にやりたいことをもう一度見直して、

 

 

 

 

 

 

紙に書いたりしてみたら、

 

 

 

 

 

気持ちも前向きになれたし、自分の意思もかなり固まった気がする。

 

 

 

 

 

 

そんなに生き急がなくていいかなって。

 

 

 

 

 

 

どうせ今までかなり紆余曲折してきたんだし、

 

 

 

 

それがちょっと伸びるのも、

 

 

 

 

 

 

自分の精神安定を保つためには

 

 

 

 

 

 

それでしょうがないかなって。

 

 

 

 

 

思う。