NYの片隅から日本の片隅へ。

2017年8月からアメリカのNY州フレドニアで交換留学をしていたモラトリアムがちな女子大生が日本に帰国してから色々と考えたり間違ったりする奮闘記。

気持ち。

 

 

 

 

 

私は、今、

 

 

 

 

 

驚くほど身軽で、

 

 

驚くほど気重だ。

 

 

 

 

 

 

私には縛られているものがない。

 

 

 

 

 

学校にも、仕事にも、社会にでさえ縛られていない。

 

 

 

 

 

 

だけど、心は驚くほど色々な感情に縛られている。

 

 

 

 

 

過去への開墾、現在の不安定な気持ち、将来への不安と葛藤。

 

 

 

 

 

 

私はこの全てにきつく縛られて、

 

 

 

 

 

 

身動きすら取れなくなっている。

 

 

 

 

 

物理的にも部屋から出る時間が少ない。

 

 

 

 

 

 

こんな私を、1年前、2年前の自分が想像できただろうか。

 

 

 

 

 

 

一年前は、心が軽かった。

 

 

 

 

留学生活も残り数日になり、授業も終わり、長かった冬から春の柔らかくて暖かい風を感じるようになっていた。

 

 

 

心地よかった。

 

 

 

 

 

2年前の自分。

 

 

 

 

これから待っている留学生活に心は軽く、

 

 

 

 

 

ステさんと出会ってから自分の存在を認められたような気がしていた。

 

 

 

 

 

どちらにしても、ここ2年間は、私は私で大丈夫、やっていることは正しい。

 

 

 

 

そんな気持ちが自分を包んでいた。

 

 

 

 

 

ただ、日本に帰ってきて、さぁ次の段階に進もうとした時、

 

 

 

 

自分が見えなくなった。

 

 

 

 

これから何がしたいのか、

 

 

 

 

 

自分の経験は何に役立つのか、

 

 

 

 

わからなくなった。

 

 

 

 

 

がむしゃらに動いて、就職しようという気持ちだけだった。

 

 

 

 

 

それが落ち着いて、入ろうとした会社がやっていることが、自分のやりたいこととずれているのに気づいてしまった。

 

 

 

バイトが、塾講師の自分が一番生き生きしていることに気づいてしまった。

 

 

 

 

 

 

そこからは葛藤の毎日だった。

 

 

 

 

卒業も、卒論を1冊出せば終わるはずなのに、

 

 

 

 

それができなかった。

 

 

 

 

 

私にはできなかった。

 

 

 

 

 

なんで、となんども自問自答した。

 

 

 

 

 

でも、結局答えはまだ出ていないようなものだ。

 

 

 

 

 

やりたいことも、働くということも、全部が静かに溶けていくように思えた。

 

 

 

 

 

二つがマッチしていなかったのだ。

 

 

 

 

 

やりたいことで 、人の役に立って、それが仕事になる。

 

 

 

 

 

 

私の無意識の感情と、

 

 

 

 

現実が徐々にずれていって、

 

 

 

 

それに私自身が気づかずに、

 

 

 

 

 

いや、気づいていたのに、見たくない現実に蓋をしていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

そして、また、

 

 

 

 

 

私は壊れてしまった。

 

 

 

 

 

 

今少し落ち着いてきたから、

 

 

 

 

 

 

こんなことも書けるようになったけど、

 

 

 

 

 

まだまだ私は夢の中にいるような気持ち。

 

 

 

 

 

 

問題が山済みにされているのに、それを俯瞰して、

 

 

 

 

 

 

見ないようにしている。

 

 

 

 

 

 

正面からそれに向き合うことから始めなければいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから、私の人生が決まる。