NYの片隅から日本の片隅へ。

2017年8月からアメリカのNY州フレドニアで交換留学をしていたモラトリアムがちな女子大生が日本に帰国してから色々と考えたり間違ったりする奮闘記。

今考えていること。良いことも悪いことも。

 

 

日曜日です。

 

 

 

ここ一週間ほどは梅雨と台風の影響か、6月なが場にしては寒い日が続き

 

 

昼間でもカーディガンが欠かせない。

 

 

 

そんなどんよりとした空気に包まれていました。

 

 

 

やっぱり人間は自然に少なからず影響を与えられているようで、

 

 

 

空のどんよりさが私の心もかなり曇らせていたよう。

 

 

 

 

でも今日は一転して、

 

 

快晴。

 

 

 

久しぶりに青い空と地面を輝かせる太陽が顔を出している。

 

 

 

 

そんな中お気に入りのカップに美味しいコーヒーを入れて、

 

 

 

 

着心地のいい服に包まれていると、

 

 

 

少しだけ自分の生活が、心が軽くなったように思える。

 

 

 

 

心と体、繋がりの大切さ。

 

 

 

 

気分のいいついでに、

 

 

 

 

今日はちょっとだけ自分の中にあるポジティブなことを書いてみる。

 

 

 

自分の今後のこと。

 

 

 

例えば、の話にはなるけど、

 

 

 

いつも鬱々とネガティブなことしか考えなかったり、超現実的な意見や考えに浸ってしまうことで自分が壊れてしまうぐらいなら、

 

 

 

いっそ超非現実的で夢のようなことを考えて書いて行っても、

 

 

 

意外とそれが現実にだってなることもあるんじゃないかって思うから。

 

 

 

 

まずは移住の話。

 

 

 

日本に、新潟に帰ってきて二週間。

 

 

 

とにかく欠乏感の塊。

 

 

 

言葉も通じる、うるさい人もいない、ご飯が感動するほど毎日美味しい。

 

 

 

そんな幸せな生活を送っているにも関わらず、私の頭の中はあまり幸せじゃない。

 

 

 

理由を考えたらきりがないかもしれないけど、

 

 

 

やっぱり自分を自由に出していい環境、

 

 

 

遠慮、気遣いを無理してしなくていい場所。

 

 

 

それがここにはない。

 

 

 

みんな何かどこか嘘と本音があべこべになっているようで、

 

 

 

ここは。

 

 

 

自分を魅せようとすることは、つまり目立とうとすることは、悪のよう。

 

 

 

でも私は知ってしまった。

 

 

 

 

自分をしっかりさらけ出して、パワフルに生きれる場所。

 

 

 

自分がどこの誰で、どんな人間かをいちいち考えなくてもいい場所。

 

 

 

それが、実は国という括りはなくて、

 

 

 

“海の向こうのどこか”

 

 

 

 

だった。

 

 

 

 

私の居場所をずっと探していた。ここで生きていることの違和感しかなかった。

 

 

 

それはやっぱり逃げかもしれないけど、逃げる前に自分が潰れてしまうなら、

 

 

 

実は自分の直感が一番正しいのかもしれない。

 

 

 

 

だから、本当に私は自分の心が穏やかになれる、心から自分が生きていると感じられる場所で生きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

それは誰かの基準で正しいとか正しくないとかではない気がする。

 

 

 

 

 

私の物差しで、私の力量で、

 

 

 

 

それを図れるような人生を作りたい。

 

 

 

 

 

 

私の健康バロメーター。

 

 

 

ここ数日は、

 

 

 

なんとなく求職サイトを眺めては

 

 

自分にできる仕事って本当にあるのか、

 

 

 

英語を使って仕事ができるようになるのか、

 

 

 

 

そんなことをずっと考えながら、

 

 

 

 

それでもただ単純に時間が流れて行くのを焦りと諦めの心で見てるような毎日。

 

 

 

 

 

それじゃあNYでのあの経験は何も活かされないじゃないか。

 

 

 

 

あそこまで人格の変わるような経験をした後の生活なのに

 

 

 

 

こんなに充実してないなんて、

 

 

 

 

私は一体何をしてきたのか。

 

 

 

 

 

そう思うだけでただ胸が苦しい。

 

 

 

 

 

留学中も特に気をつけていた自分の体調と精神の管理も、

 

 

 

 

いい方向に変えることも留学中にうまく出来たけど、

 

 

 

帰ってきて悪い方向に変わるのも本当に簡単だった。

 

 

 

 

人との繋がり、食生活、睡眠、運動。

 

 

 

 

一番大切にしたいと思っていたことが、

 

 

 

 

何もない日常で崩れている。

 

 

 

 

睡眠は不規則になり、量も時間帯もバラバラ。

 

 

 

 

食事も週に2回ファストフードで済ましてしまった。

 

 

 

 

こんな時私の健康状態が一発でわかってしまうバロメーターがある。

 

 

 

 

それは、

 

 

 

”爪”

 

 

 

 

ストレスが溜まっている時、食生活、睡眠が乱れている時、

 

 

 

私の爪は必ず禿げる。

 

 

 

剥げる?

 

 

 

 

決まって右手の人差し指がぺろっと皮のように剥げて薄い部分だけになってしまう。

 

 

 

そうなったらちょっと健康面を気をつけろという体からの危険信号。

 

 

 

 

留学中も何度か爪の皮が剥げて、その都度睡眠、食事を気にしていた。

 

 

 

 

昨日爪を見たら、

 

 

 

 

案の定剥げていた。

 

 

 

 

 

だから今何を一番大事にしなきゃいけないのかがすごく混乱している。

 

 

 

 

私はすごく不器用でわがままだから、

 

 

 

自分が好きなことしかできない。

 

 

 

 

今ストレスに感じていること、できないことをやることでもっとストレスが助長されて、

 

 

体と精神が崩れて行くなら、

 

 

 

それぐらいならまた逃げる方向に行きたくなる。

 

 

 

 

逃げたくないけど、それは人間の本能だから。

 

 

 

 

 

 

もう少し生きやすくなったと思ったけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日常への回帰。

 

 

 

前回の記事からあまり変わっていない現状。

 

 

 

周りの環境が180度変わったことへの私の反応。

 

 

 

「逃げる」

 

 

 

これは本当に3年前の自分とおんなじ反応で、

 

 

 

周りの変化と自分の現状の溝が深くなればなるほど自分の居心地のいい場所に逃げる。

 

 

 

まるで生存本能丸出しで、

 

 

 

命がなくなるぐらいなら、

 

 

 

自分にストレスがかかるくらいなら、

 

 

 

どこにだって逃げる。

 

 

 

 

逃げて自分が安心できる場所が見つかるまで。

 

 

 

 

私の場合はすごく極端で、

 

 

 

逃げ場所は二つ。

 

 

 

 

誰も入ってこれない私だけの空間、自分の部屋。

 

 

 

 

誰も私のことを知らない、私が自分を自分として見なくてもいい場所、海外。

 

 

 

 

この二つの場所を行ったり来たりして、

 

 

 

どうにかして自分の欠点、現実、甘い考えやどうしようもなくダメなところを隠して誰にも気づかれないようにしてきた。

 

 

 

 

今もその途中な気がする。

 

 

 

 

アメリカ、ドイツの次は自分の部屋。

 

 

 

 

また引きこもって誰ともコンタクトを取らないように、外に出て情報を入れないようにしてる。

 

 

 

そこを乗り越えないと先に進めないのはわかってるはずなのに、

 

 

 

 

どうしても5歳児のわがままな女の子のように

 

 

 

いやいやを続けてる。

 

 

 

 

 

私のことは一番私がよくわかってるつもりだけど、

 

 

 

 

あの9ヶ月間のアメリカ生活は私を大きく変えたと思うし、自信になることもたくさんしてきたはずなのに、

 

 

 

どうしてこうも自分は自分のままなんだろう。

 

 

 

 

 

 

私はこれを乗り越えられることはできるのか、

 

 

 

自分のことに自信を持ちながら、前に進むことはできるのか。

 

 

 

 

 

 

考えても考えても、

 

 

 

 

 

 

腰の重い自分を変えるのはすごく難しい。

 

 

 

 

 

 

帰国して1週間。

 

 

約9ヶ月間の留学生活が終わり、日本に、地元の新潟に帰ってきた。

 

 

 

留学が終わったのは5月の終盤だったけど、そのまま日本に帰るのはなんだか勿体無い気もしていたから、

 

 

彼のいるドイツに一週間ほど寄ってからの帰国。

 

 

 

留学中も、ドイツでも、

 

 

正直

 

 

日本に帰ることがすごく嫌だった。

 

 

留学で自分の中に自分らしさを取り戻せた気がしていたし、

 

 

英語力も完璧とはいかないまでも学内のインターンをこなしながらネイティブとのコミュニケーションにも困らなくなるまでに成長できたと思っていたので、

 

 

このまま日本に帰国するのはすごくもったいない気がしていた。

 

 

 

それと同時に、日本に帰ることで、

 

 

 

過去にあった出来事、

 

 

 

自分にとってはかなりトラウマになっているようなことと再び対峙しなければいけない気がしていたので、

 

 

それについてもまだ心の準備というか、根本的なところでは恐怖心が抜けていないままだったことがネックだった。

 

 

 

だけど、今まで9ヶ月かけて培ってきたアメリカでの自分を日本でも発揮したいという強い想いも同時に感じていたから、

 

 

 

地元について両親にあった時から一週間ほどは以前よりも意識して、

 

 

 

明るく、変わった自分を前面に出すように振る舞ってた。

 

 

 

最初の方はそれがうまくいったように感じて、

 

 

 

私は変われたんだ。

 

 

 

日本でもうまくできるかもしれない。

 

 

 

そんなポジティブな気持ちが湧き上がってきたような気がした。

 

 

 

 

 

でも、やはり私は環境というものに人格も大きく左右されやすいようで、

 

 

 

 

苦しかった過去の自分が見ていた景色、取り巻く人々、

 

 

何も変わっていない日本の環境で、

 

 

自分だけが変わってしまったこと、

 

 

それを自分以外の誰も知らないこと、認めてくれないこと、

 

 

 

その事実の一つ一つが少しづつ喉に詰まった小骨のように私の心を突き刺していって、

 

 

 

どんどんネガティブな自分が

 

 

 

あんたは結局何も変わっていないよ。ただアメリカに逃げただけて、現実はあんたにそんなに甘くないよ。

 

 

そう囁いている気がして、

 

 

 

何をしていても、何か新しいこと、やるべきことを優先させようとしても、

 

 

 

その囁きが聞こえて来るようで、

 

 

 

実は今かなり参っている状態。

 

 

 

まだ帰国して一週間という短い期間で、逆カルチャーショックを受けているのかもしれない。

 

 

でも私には意外と時間がないような気がして、

 

 

 

中途半端な卒論も、

 

 

 

すでに周りには相当遅れをとっている就活も、

 

 

 

今後のキャリアと将来のことも、

 

 

 

考えて行動しなければいけないことがありすぎる気する。

 

 

 

 

正直、

 

 

 

 

アメリカにいた自分がすごく好きで、

 

 

周りにもいい影響を与えられている、認められているという環境が凄く心地よくて、

 

 

それに浸っていたという実感はある。

 

 

 

だからその反動で、日本という一度挫折を味わって苦しい思いをした土地にいることを、私の心が無意識に拒否しようとしているのかもしれない。

 

 

 

 

これをどう乗り越えていくか、

 

 

 

 

それとも別の道を探すのか、

 

 

 

 

そこが今の一番の悩み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今思うこと

 

今思うことをとりとめもなく書く、

 

 

 

 

ただいろんな情報が、色んな人のいろんなことが一度に入って来るとき、

 

 

 

 

それがどんな性質のものでさえ、

 

 

 

喜べるもの、悲しみになるものでさえ、

 

 

 

 

私には受け止める感情が弱すぎる。

 

 

 

 

他人のこと、

 

 

 

 

他人の人生、

 

 

 

どんなに切り離そうとしても、

 

 

 

 

 

必ず自分に何か影響が与えられる。

 

 

 

苦しみでも

 

 

 

嫌悪でもなく、

 

 

 

 

どうしようもない虚無感が襲って来る。

 

 

 

 

 

 

ただ自分に集中すること。

 

 

 

 

自分の成果、

 

 

自分の結果を出すことだけに集中すること、

 

 

 

それがどれだけ難しいか。

 

 

 

 

どれだけ孤独感に苛まれなければいけないのか。

 

 

 

 

 

 

どこまでいけば私はその感情を手放せるのか。

 

 

 

 

 

その感情をコントロールして、

 

 

 

 

 

 

何を聞いても、

 

 

 

何を見てもニュートラルでいられることができるのか。

 

 

 

 

できるようになるにはどうすれば良いのか。

 

 

 

 

何をすれば良いのか。

 

 

 

 

 

 

でもこの留学でたくさんその方法を学んだ。

 

 

 

 

 

 

自分を落とさないためにはどうすれば良いのか。

 

 

 

 

 

 

もう少し大人になることを覚えなければいけないのか。

 

 

 

 

 

 

まだまだ修行が必要。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恐怖の記憶

 

 

 

人間の記憶は

 

 

 

頭で思い浮かぶ記憶と、

 

 

 

体に染み込んでる記憶の二つがある。

 

 

 

 

 

私は理性的ではないので、

 

 

 

 

辛い記憶は必ず体が覚えている。

 

 

 

 

 

 

また起きた。

 

 

 

 

 

ただ、いつも思うのは、

 

 

 

 

私の記憶には一方的な感情がたくさんあって、

 

 

 

 

同じ感覚が繰り返される。

 

 

 

 

 

パニック症候群。

 

 

 

それかもしれない。

 

 

 

 

 

あの時のことを思い出すと、戻ってしまうことに恐怖を感じて、

 

 

 

 

とにかくそこに行くまでの感情をどうにかして消してしまおうとする。

 

 

 

 

 

そうすることで、

 

 

 

 

最悪の事態、

 

 

 

 

 

他人を拒絶して、自分を殺して、

 

 

 

全てをなかったことにしようとしてしまう衝動を抑えてる。

 

 

 

 

 

 

 

いけない。

 

 

 

 

 

もう二度とあの感情と行動は起こしてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

戻ろう。

 

 

 

 

 

まだ大丈夫。

 

 

 

 

 

 

遠距離恋愛について。思うことと、現実。

 

 

 

 

二週目が始まった。

 

 

週の初めは9時からのヨガのクラスで、始めの5分は瞑想の時間。

 

 

 

瞑想はこっちにきてからやり始めて、色々試してみたけど

 

 

 

雑念を消して呼吸に集中するのが難しい。

 

 

 

今日も瞑想中に何個か考えが浮かんでは呼吸に戻ろうと葛藤してた。

 

 

 

その中でふっ、と思い浮かんだこと。

 

 

 

 

過去の”国内遠距離恋愛”と今の”国際遠距離恋愛”について。

 

 

 

 

ちょうど一年前に前の彼と別れた。

 

 

 

大学2年から付き合い始めて、新潟と金沢間の遠距離恋愛。

 

 

 

 

同じテニス部の繋がりもあったし大学生で暇もあったからそれなりに会う時間も作れてお互いの波長もあってたから、2年弱も付き合ってた。

 

 

 

何事も長続きしない私にとってはすごく珍しいことだけど、付き合ってる時は漠然と

 

 

 

 

「この人と結婚してそれなりに楽しく生きていくのかな」

 

 

 

 

とか思ってた。

 

 

 

 

 

そんな私達だったけど、何かが変わったのがちょうど一年半前の

 

 

 

彼の就活と私の進路変更。

 

 

 

2、3年前の自分の心境とか経験とかについても今後の記事で書こうとは思ってるけど、

 

 

私は自分の進路を大幅に変えて、大学を休学してフィリピンに飛んだ。

 

 

 

 

 

彼は順調に仕事をゲットして、これからは関西を中心に生活していこうとしていた。

 

 

 

 

私はどうすることもできなかった。

 

 

 

 

今の自分はまた道の途中なのに、

 

 

 

彼の安定した将来についていくことができなかった。

 

 

 

 

仕事をしていると会いにいくこともなかなかできないだろうし、確実に連絡できる頻度も減る。

 

 

 

それじゃあなんでつきあっているの?

 

 

付き合っているって言えるの?

 

 

 

そう思った。

 

 

 

 

今思えば新潟に残ったとしても車で、新幹線で、いくらでも行き来できる距離だけど。

飛行機に乗って安くないお金を払って期間を決めなければ会えない関係でもないのに笑

 

 

 

 

”遠距離”の一番の問題はお互いの生活における時間配分が合わないととてつもない孤独感と惨めな気持ちに苛まれるってこと。

 

 

 

2年半の遠距離で私はそれを痛いほど学んだ。

 

 

 

待っていたって相手は来てくれない。どんなに辛いことがあっても電話も通じなければ話を共有することもできない。

 

 

 

 

それをきちんと理解して、自分の生活と、相手と共有する生活を分けないと

 

 

どこかで無理をし続けて不満がたまる。

 

 

 

不満が溜まっても会えるまではどうすることもできないからストレスになる。

 

 

 

 

1年前の自分はそれをなんとなくしか理解してなくて、それに耐えられない子どもだった。

 

 

 

 

 

 

”国際遠距離恋愛”を始めた今。

 

 

 

 

 

会える時間、話せる時間、テキストできる時間は前の1/2になった。

 

 

 

 

それでも前より相手との将来を意識しているのは、

 

 

 

 

年齢のこともあるけど、

 

 

 

 

何に関しても相手に期待するのをやめることができるようになったから。

 

 

 

そうじゃなくて、いかに話せる時間、テキストできることを楽しめるかに集中できるようになった。

 

 

 

やっぱり会えた時は嬉しいし、別れるのは悲しいけど、これからの人生で最終的には一緒に暮らせるように今を頑張る指針にしてくれることが嬉しい。

 

 

 

 

まぁたまに爆発してイラッとしちゃう時もあるけどね。

 

 

 

それは人間だから自然なこと。割り切るのが大切。

 

 

 

 

 

そんなことを瞑想中に考えていて、授業後の今速攻で記事にしてみました。