NYの片隅から日本の片隅へ。

2017年8月からアメリカのNY州フレドニアで交換留学をしていたモラトリアムがちな女子大生が日本に帰国してから色々と考えたり間違ったりする奮闘記。

遠距離恋愛について。思うことと、現実。

 

 

 

 

二週目が始まった。

 

 

週の初めは9時からのヨガのクラスで、始めの5分は瞑想の時間。

 

 

 

瞑想はこっちにきてからやり始めて、色々試してみたけど

 

 

 

雑念を消して呼吸に集中するのが難しい。

 

 

 

今日も瞑想中に何個か考えが浮かんでは呼吸に戻ろうと葛藤してた。

 

 

 

その中でふっ、と思い浮かんだこと。

 

 

 

 

過去の”国内遠距離恋愛”と今の”国際遠距離恋愛”について。

 

 

 

 

ちょうど一年前に前の彼と別れた。

 

 

 

大学2年から付き合い始めて、新潟と金沢間の遠距離恋愛。

 

 

 

 

同じテニス部の繋がりもあったし大学生で暇もあったからそれなりに会う時間も作れてお互いの波長もあってたから、2年弱も付き合ってた。

 

 

 

何事も長続きしない私にとってはすごく珍しいことだけど、付き合ってる時は漠然と

 

 

 

 

「この人と結婚してそれなりに楽しく生きていくのかな」

 

 

 

 

とか思ってた。

 

 

 

 

 

そんな私達だったけど、何かが変わったのがちょうど一年半前の

 

 

 

彼の就活と私の進路変更。

 

 

 

2、3年前の自分の心境とか経験とかについても今後の記事で書こうとは思ってるけど、

 

 

私は自分の進路を大幅に変えて、大学を休学してフィリピンに飛んだ。

 

 

 

 

 

彼は順調に仕事をゲットして、これからは関西を中心に生活していこうとしていた。

 

 

 

 

私はどうすることもできなかった。

 

 

 

 

今の自分はまた道の途中なのに、

 

 

 

彼の安定した将来についていくことができなかった。

 

 

 

 

仕事をしていると会いにいくこともなかなかできないだろうし、確実に連絡できる頻度も減る。

 

 

 

それじゃあなんでつきあっているの?

 

 

付き合っているって言えるの?

 

 

 

そう思った。

 

 

 

 

今思えば新潟に残ったとしても車で、新幹線で、いくらでも行き来できる距離だけど。

飛行機に乗って安くないお金を払って期間を決めなければ会えない関係でもないのに笑

 

 

 

 

”遠距離”の一番の問題はお互いの生活における時間配分が合わないととてつもない孤独感と惨めな気持ちに苛まれるってこと。

 

 

 

2年半の遠距離で私はそれを痛いほど学んだ。

 

 

 

待っていたって相手は来てくれない。どんなに辛いことがあっても電話も通じなければ話を共有することもできない。

 

 

 

 

それをきちんと理解して、自分の生活と、相手と共有する生活を分けないと

 

 

どこかで無理をし続けて不満がたまる。

 

 

 

不満が溜まっても会えるまではどうすることもできないからストレスになる。

 

 

 

 

1年前の自分はそれをなんとなくしか理解してなくて、それに耐えられない子どもだった。

 

 

 

 

 

 

”国際遠距離恋愛”を始めた今。

 

 

 

 

 

会える時間、話せる時間、テキストできる時間は前の1/2になった。

 

 

 

 

それでも前より相手との将来を意識しているのは、

 

 

 

 

年齢のこともあるけど、

 

 

 

 

何に関しても相手に期待するのをやめることができるようになったから。

 

 

 

そうじゃなくて、いかに話せる時間、テキストできることを楽しめるかに集中できるようになった。

 

 

 

やっぱり会えた時は嬉しいし、別れるのは悲しいけど、これからの人生で最終的には一緒に暮らせるように今を頑張る指針にしてくれることが嬉しい。

 

 

 

 

まぁたまに爆発してイラッとしちゃう時もあるけどね。

 

 

 

それは人間だから自然なこと。割り切るのが大切。

 

 

 

 

 

そんなことを瞑想中に考えていて、授業後の今速攻で記事にしてみました。