NYの片隅から日本の片隅へ。

2017年8月からアメリカのNY州フレドニアで交換留学をしていたモラトリアムがちな女子大生が日本に帰国してから色々と考えたり間違ったりする奮闘記。

春という季節の意味。

 

 

 

 

暦の上では4月を5日過ぎて、

 

 

テレビでも新学期、新生活、桜の開花、

 

 

 

そんな話題しかやっていない。

 

 

 

 

天気の話で言えば、新潟はまだ春とは言えないかもしれない。

 

 

 

 

暖かくはないし、空も(多分)まだ春らしいとは言えない。

 

 

 

ただ、

 

 

 

 

さっきも言ったように、この時期をすべての人が喜んでいるかのように思えてしまう。

 

 

 

 

 

外の世界の出来事。

 

 

 

 

 

 

今の私にはそう映っているけれど、

 

 

 

 

 

本当にみんながみんな、春を待ち焦がれているのだろうか。

 

 

 

 

私にとっての春という季節の意味はなんなのか。

 

 

 

 

 

記憶を辿る限りでは、

 

 

 

 

まだ学生という意識の中で生きていたから、

 

 

 

 

 

新学期や入学で新しいことが始まる。そんなこそばゆい時期だったと思う。

 

 

 

 

 

桜の咲く風景も、すごく、純粋な気持ちで見れていた気がする。

 

 

 

 

 

もう少し最近のことを考えて、思い出す。

 

 

 

3年前。

 

 

 

 

春は私にとって地獄のような時期だった。

 

 

 

 

 

あの時の私も、その前の秋から冬にかけて、息を殺して、誰にも会わないように、

 

 

 

 

暗闇の中で生きていた。

 

 

 

ただ、寒い時は寂しい思いもあったけれど、それは逆に、どこか自分が閉じこもることを許されているような気がした。

 

 

 

 

それが、時間が経ち、季節が春に変わろうとしている時、

 

 

 

 

部屋の中で感じた、暖かさ。

 

 

 

 

そこにいる事を責められているかのように。

 

 

 

 

私が生きていることさえ、責め立てられているかのように。

 

 

 

 

春の暖かさは、辛くて、ジリジリと私を苦しめた。

 

 

 

 

今、

 

 

 

 

またあの時の気持ちが蘇ってきているように感じる。

 

 

 

 

 

これからどんどん春らしくなってきて、

 

 

 

 

一人何者でもない私、どこにも居られない私を、

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと、でも確実に、苦しめていく。