NYの片隅から日本の片隅へ。

2017年8月からアメリカのNY州フレドニアで交換留学をしていたモラトリアムがちな女子大生が日本に帰国してから色々と考えたり間違ったりする奮闘記。

考える。感じる。吐き出す。

 

 

 

私が私でいるために、ここには私の本音を書いている。

 

 

 

 

誰にも言えないこと、自分の中で溜まっていく感情。

 

 

 

それをすべて吐き出して、誰の迷惑にもならないように、

 

 

 

 

 

いい生活がしたい。

 

 

 

 

いい生活って言っても、何か高いものを食べたり、いい洋服を着たりするのではなくて、

 

 

 

 

みんなが笑って、自分のことを認められて、自信を持てて、

 

 

 

 

 

その中でもっといい生活ができること。

 

 

 

 

 

私に足りないものは何か。

 

 

 

 

いつも考える。

 

 

 

 

足りないものがありすぎて、ここ数ヶ月は忘れていたこと。

 

 

 

 

 

私には持っているものがたくさんあった。

 

 

 

 

 

それは物質的なものではなくて、

 

 

 

 

楽しかった記憶、辛かった記憶、暗闇の中をもがいているような時間。

 

 

 

 

出会った全ての人たち。

 

 

 

 

私を本当にわかってくれる友達。

 

 

 

 

何をしても許して、支えてくれる家族。

 

 

 

 

暖かく過ごせる今この場所。

 

 

 

 

 

私が誰かにもらったものは数え切れないほどある。

 

 

 

 

 

じゃあ、私は誰かに何かを与えたり、感じさせたり、したのだろうか。

 

 

 

 

これからそんなことができるのだろうか。

 

 

 

 

 

今の私じゃまだ無理かもしれない。

 

 

 

 

 

与えらるだけの人生だったかもしれない。

 

 

 

 

家も、食べ物も、教育も、自由も。

 

 

 

 

 

私は何もかも与えられてきて、それが当たり前になっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

それではいけない。

 

 

 

 

 

与えられるだけの人生に、愛と情熱は生まれない。

 

 

 

 

 

自分の信じた道を、情熱と、信念と、愛を持って生きていかなくては。

 

 

 

 

 

 

今まで悩んできたことは、必ず自分の信念を試すための壁だった。

 

 

 

 

 

 

私が本当にしたいこと、進みたい道、人生。

 

 

 

 

それを教えてくれて、私が間違った道に歩いていかないようしてくれていたのかもしれない。

 

 

 

 

最高のタイミングで、最高の人と出会うために。

 

 

 

 

そうじゃないと、今まで私はなんでこんなにも外の世界に、英語に、

 

 

 

憧れて、自分のものにしたいと思って生きてきたんだろう。

 

 

 

 

 

多分、やっぱり、私の人生はそこにつながっているのではないか。

 

 

 

 

 

そう思う気持ちが、最近ますます募っている。

 

 

 

 

 

人生を生きてきた私は、いつも何か強い光に導かれている気がする。

 

 

 

 

外の世界への憧れ。

 

 

 

 

今生きている、使っている言語とは違う言語への思い。

 

 

 

 

 

ただそれだけのちっぽけなことだけど、

 

 

 

 

そのためにいつも苦しい思いもしてきたけれど、

 

 

 

 

私が自分の人生で唯一自信を持って頑張ってきたと言えることはそれだけしかない。

 

 

 

 

 

それだけ。

 

 

 

 

 

でも私はそれで生きていきたい。

 

 

 

 

そう思い始めている。

 

 

 

 

 

今の進路をどうするのかとか、今後のことが全然見えていない中でこんな風に考えるのはどうなのかとも思うときはある。

 

 

 

 

でも、それでも自分の直感とか、信念には抗えない。

 

 

 

 

 

私はそうやって生きていきたい。

 

 

 

 

 

それが私を私にする。

 

 

 

 

 

My passion, love, and belief make me ME.