NYの片隅から日本の片隅へ。

2017年8月からアメリカのNY州フレドニアで交換留学をしていたモラトリアムがちな女子大生が日本に帰国してから色々と考えたり間違ったりする奮闘記。

ここでもう一回。心の整理。

 

 

 

前回のブログから3週間。周辺の環境と心はあまり変わっていない。

 

 

 

 

逃げ出したい気持ちと立ち向かわなければいけないという気持ちにとに板挟みになって、

 

 

 

どこにもいけなくて自分の殻に閉じこもる。

 

 

 

 

毎度毎度のことで自分でもそろそろ嫌気がさしてきた頃だけど、

 

 

 

 

そんな内面の自分はお構い無しに、現実の自分とそれを取り巻く環境は進んでいく。

 

 

 

 

さぁ、ここがまた踏ん張りどころになるのか。

 

 

 

 

 

ここ二日で一人殻にこもっていろいろなことを考えた。

 

 

 

 

私は誰なのか、何が好きなのか、何をしたいのか、

 

 

 

どこで、誰と、どんな変化を起こしたいのか。

 

 

 

これを考えるようになったのは、私がいつも勇気をもらっている田島麻衣子さんのツイートに、

 

 

“人生の目的を明らかにする5つの問

①自分は誰で ②何をするのが得意で ③誰のために ④何を与えることで ⑤どんな変化を起こすのか。 ”

 

 

こう書いてあったから。

 

 

これに沿って今の私の気持ちを整理して見ると、

 

 

①私は英語が好きで、海外で働くことに憧れてるまだ女子大生。

 

②得意なの人見知りせず誰とでも話すこと。人の世話。自分のことよりも人の事を改善したり、相談されたりすることが好き。

 

③特に自分より年下の子たちのために。

 

④英語で話すことの楽しさ、海外の人と接することの楽しさ、そして旅をすることの意義を伝えること。

 

⑤私のように今の自分が居心地悪いと感じたり、何かを変えたいと思う人の味方になって、その人たちをサポートしたい。欲を言えば英語を教えたり、英語を使って生きることを選びたい。

 

 

 

今書いていることは私の本心。

 

 

 

 

そして今自分が悩んでいる理由を考えると、全てこれに当てはまらない行動をとっているから。

 

 

 

そして自分の未来を想像しても、今やろうとしていることと思い浮かべている未来に共通点が見つからないから。

 

 

 

私が社会に与えられる価値はなんなのか。

 

 

 

自分がやっていることが100%自分の好きなことなのか。

 

 

 

 

やらなければいけないことは私が望んでやっていることなのか、それともだれかの言葉に振り回されながらやっているのか。

 

 

 

 

多分、そういうことなんだろうと思う。

 

 

 

 

今の自分は、自分がいたい場所と、自分がやりたいことと、

 

 

何も一致していないから、真逆の方向に向かおうとしている自分に自分が拒絶反応を示しているだけ。

 

 

 

それがわからずにここ何ヶ月かはすごく苦しんだ。

 

 

 

無理やり心を整えようとして、何か別のことに注意を向けようとしていたけど、

 

 

 

 

それはただただ部屋の真ん中だけを掃除機で綺麗にしようとしていただけで、

 

 

 

見えない部屋の隅にはどんどん埃が溜まっていっているような状況。

 

 

 

 

見た目はすごく綺麗になったはずなのに、見えないところで隅の埃がどんどん溜まったいて、そのうちそれがどんどん侵食していって、結局いくら掃除をしても埃が消えてなくならない。

 

 

私はどうすればこの隅に溜まった埃を綺麗にできるだろう。

 

 

 

 

 

どうしよう。また苦しくなった。

 

 

 

 

現実にしなければいけないことと、いま考えていることと、そんなことしている場合でもなく流れている時間と。

 

 

 

こんなに乖離するなら何もしたくないという自分。

 

 

 

 

 

3方向から突きつけられる針にたじろいで、身動きができない。

 

 

 

 

不安に襲われる瞬間と、その不安を払拭しようと踏ん張ろうとする瞬間。

 

 

 

 

いつもそんなことの繰り返しで、心はかなりすり減っている。

 

 

 

 

溜まりに溜まった私のできない気持ちは、

 

 

 

 

どうすれば整っていくのだろう。

 

 

 

 

また振り出しなのかな。