NYの片隅から日本の片隅へ。

2017年8月からアメリカのNY州フレドニアで交換留学をしていたモラトリアムがちな女子大生が日本に帰国してから色々と考えたり間違ったりする奮闘記。

私が自分に欲していること。誰かに欲していること。

 

 

 

今日は自分のことをとことん分析していこうと思う。

特に今は自分の心が不安定だったこともあるし、何に対しても気持ちが定まっていないから、少し具体的に、気持ちの整理と感情の波をゆっくり眺めてみようと思う。

 

 

 

第一に、私は今自分が目指すべき明確な目標がない。自分がこれをやっていたら楽しい、ワクワクする事が少ない。自分に対してポジティブなイメージを感じにくくなっている。

自分が何をしたいのか、何になりたいのか、どうやって生きていきたいのか。

漠然としていて夢のようなイメージはあるけど、それに向かって何か具体的に行動しているわけでもないし、その夢を追いかけている訳でもない。

ただ漫然と毎日を過ごしながら、今日はあれができなかった。今日の自分はこれがダメだった。結局また何もできなかった。の繰り返し。同じことを繰り返し頭の中で反芻しているから、別なことを考えなきゃいけない時も、頭の中の30%は常にできなかったことを考えている。そうしているとかなり疲れる。自分が楽しいと思ってやっていることも本当の意味で「楽しい」と思えない。

何にでも「自分はあれができていないからダメなんだ」「今これができてもあれができていないからダメなんだ」そんなことばかり考えているから、一つの事に対しても集中できないし、辛い。自分がやっていてワクワクするようなことがここにはないと思ってしまうから、生きる事にどんどん臆病になっていく。

目標もなく楽しさも感じられない人生ほど悲惨なものはないと思うけど、今の自分がまさにそれだから、自分を100%活かしきれていない。

それが嫌で、少しでもそれを変えようと思うけど、なかなか自分の気持ちと頭の中のイメージは変わらない。目標を作りたい。自分が好きな自分で生きていけるように毎日を過ごしたい。そう心から願っているのに、、、。

 

 

第二に、私は今自分が好きな自分に戻りたいのに全然戻れないくて今の自分をすごく後悔している。

アメリカでのいろいろな経験が私をかなり変えてくれたと思っていて、チャレンジ精神とか、人と関わる時の見方だとか、自分に対する自信とか。あえていうなら人生観みたいなものが大きく変わって、すごくいいエネルギーで生きていけていたはずだった。

でも日本に、新潟に帰ってきて、結局前の自分のいる環境に戻ってしまえば、自分は同じ人間なんだってことを思い知らせれてそこから抜け出せていない。

そして、それに対する明確な答えもないまま、日々を消化している感がすごくあって。

エネルギーが全然うまく流れていない。楽しくない。

戻りたいという気持ちのまま、前に進めていない。

じゃあどうやったら自分を高められるのか。モチベーションを上げられるのか。多分今具体的にそれがわからないのかもしれない。見つけられていないのかもしれない。それか、もう見つかっているのに日々の心の中で何かがストップをかけているのかもしれない。もしかしたらすごく、自分で自分を抑えているのかも。

そう考えると今、それだと自分が可哀想な気がする。

無理に本当の自分、アメリカにいたような自分を抑えて、小さいところに収まっているのを見ると、それじゃあ自分が活かしきれていないし、可哀想。

私は私の実力を知っている。誰かを喜ばせたり、励ましたり、応援することが大好きなのに。

もし、私が得意なこと、好きなこと、やりたいことが思いっきりできるようになったら、それに人生をかけたり、そのことで人と繋がることができたら、

私の生活はまたガラッと変わるかもしれない。それができたらもう少し自分に自信を持てるかもしれない。私は自分に自信があって、人生を楽しんでいる自分が大好き。

私が笑っていることで、誰かを幸せにしたり、

私が動くことで、誰かの人生を動かすことができたり、

周りの人を少しでも明るい気持ちになってくれたりする一生が送りたい。

 

私はそのために生きなければいけない。

今まで苦しかった。すごくすごく苦しくて、泣いて、塞ぎ込んで、夢にまで苦しいことが頭の中を支配するようになっていた。

でも、今ここに自分の気持ち、迷い、不安を書き出したら、

その不安とか、迷いとか、恐れがどこから来るのかがわかった。

それは、私自身の考え方だ。

私は変わっていたようで、何も変わっていない。

変わっていたのは、別な環境にいる時の私の物事への考え方、見方だ。

アメリカにいる時の私は、見ている物事が全然違って、少しの嫌なこと、辛いこと、もちょっと言うと少し怠惰な自分にも、大目に見てあげようと考えていた。

できないことが当たり前、できたことはすごく喜ぶ。

自分に課すハードルがかなり低くて、できたことを楽しんでいられた。

でも、今は、何に関してもできることが当たり前になっていたから、少しのことでもできないと自分を責めて、なんでできていないのかにしか焦点を当てていなかった。

それと、自分の中だけの評価にとどまっていて、他の人からの評価を全くもらっていない。私はどうなのか、他人から見た私が全く出てきていない。

だから尚更自分を過小評価しがちなのかも。

 

こうやって時間をかけて考えると、客観的に自分を見ることができるけど、

具体的に動くことはかなり難しいから、

それについてはもう少し強くなってから。今は帰ってきてから一番弱い時期だから。

そこは認めてあげる。少し大目に見てあげる。自分を許すことも時には大事。

 

f

だって、世の中に、私は、自分で変えられる人は、私しかいないから。

 

 

 

 

相反する二つの思い。

 

 

 

 

 

私の中で渦巻いている二つの思い。

 

 

 

 

 

 

一つは今の状況から逃げたい。自分が本当の自分になれる場所に行きたい。

 

 

 

 

 

今ここで上手くいかなかったことから逃げて、別の場所で自分の力を発揮したい。

 

 

 

 

 

そんな気持ちが心の隅にいつも佇んでいて、事あるごとに顔を出して私に語りかけてくる。

 

 

 

 

 

 

 

もう一つは、今の状況を自分の力で変えたいという気持ち。

 

 

 

 

 

このままの自分で、少しずつ、でも確実にやることをこなしていく。

 

 

 

 

今までやってきたことに自信を持って、できると信じて、今の道を歩んでいく。

 

 

 

 

 

書いていると後者の考えの方が確実で堅実な気はする。

 

 

 

 

 

でも実際は、頭でそれを考えたとしても、今までのネガティブな日常を思い出したり、

 

 

 

 

 

自分ができないことの方が気になって進めなかったり。

 

 

 

 

 

そうやってポジティブなことを考えようとするとなおさらネガティブの渦にはまっていく。

 

 

 

 

 

 

時間だけは刻一刻と過ぎているけど、その中で私は渦に飲まれていく。

 

 

 

 

 

 

そうしているとどこまでも深いところに落ちていきそうになるから、

 

 

 

 

 

何をしていても、誰といても、

 

 

 

 

 

私は幸せになれてない。

 

 

 

 

 

どっちを選ぶのか。

 

 

 

 

 

 

決断の時だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

動くとき。

 

 

 

 

 

もう嫌になった。

 

 

 

 

私が動かない時は本当に人生が止まったままで、

 

 

 

 

何も決まらない、進まない、うまくいかない。

 

 

 

 

 

 

この期間の自分はまさに抜け殻で、

 

 

 

 

 

いろんなことがくずれている。

 

 

 

 

 

 

倒れそうになっている自分かいるから、それを守るように閉じこもっていた。

 

 

 

 

 

 

この状態、かなり頻繁に起こるみたいだから、そろそろ私も自分について学習して、

 

 

 

 

 

分析して、反省して、次にまた同じような自分が出てきた時に今度はもう少し短い期間で対処できるようにしたい。

 

 

 

 

 

 

まずは、私が落ち込む時の環境条件。

 

 

 

一人。

何もしない時間が増える。

友達と過ごす時間が減る。

忙しい。

寒い。

暗い。

日常的に睡眠時間が偏る。

 

 

 

 

 

それから心理的条件。

 

 

やらなければいけないことが3つ以上重なる。

人に頼れなくなる。

笑うことが少なくなる。

3日以上気分が憂鬱な日が続く。

 

 

 

 

 

そしてこれらの条件が重なった時、私に現れる症状。

 

 

 

睡眠異常に拍車がかかる。

記憶力が悪くなる。

姿勢が悪くなる。

食生活が乱れる。

会話力が低下する。

何もない時に泣きたくなる。

決断力がなくなる。

計画ができなくなる。

集中力がなくなる。

ひどい時には一日寝てばかりになる。

人の言ったことを覚えておけない。

 

 

 

 

 

上にあげた症状が一つずつとか、何個か一気に出てきて、

 

 

 

終いには「逃げたい」「死にたい」「消えたい」

 

 

 

 

そんな感情ばかりが自分を支配して、それ以外考えることを拒んでしまう。

 

 

 

 

 

だから本当は日常的に自分の姿をチェックして、

 

 

 

 

いろんな症状が出ないように気をつけていればいいんだけど、

 

 

 

 

実際に挙げた症状は、少しずつ私を蝕んでいくから自分でも最悪の状態にあるまで気づかないことが多い。

 

 

 

気づいていても、スパイラルにはまった後だから、そこから上に登っていくのにはかなりのエネルギーがいるし、実際そうなったらもうどうしようもないことがほとんど。

 

 

 

 

じゃあどうすればいいのか。

 

 

 

 

 

結局今も同じような症状が出ているし、それを改善できない自分がいる。

 

 

 

 

 

 

置かれた状況もそうだし、周りの環境も自分のストレスを貯めやすいものになっている。

 

 

 

 

 

 

これは自分で選んだことなのか。

 

 

 

 

 

私だけに当てはまることなのか。

 

 

 

 

 

それとも私がそうなりやすいように、他の人も同じように苦しんでいるのか。

 

 

 

 

 

どうやったら自分の意思で、自分の状況を、環境を、自分の心地よい状態にして、

 

 

 

 

 

それをいかなる時でも保ち続けることができるのか。

 

 

 

 

 

私が今一番知りたいのは、これ。

 

 

 

 

 

 

 

だって今辛いんだ。

 

 

 

 

 

 

 

毎日泣きながら、自分を偽りながら、本気で笑えず、

 

 

 

 

 

 

どこかで自分が消えて無くなってしまえばいいと考えることが。

 

 

 

 

 

実際はそんなこともできずに、ただただ日々時間が過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

もっと充実していたときの自分に戻りたいと思っているのに、

 

 

 

 

 

 

何もできない、泣いてばかりの自分。

 

 

 

 

 

見ていて、自分でも辛い。

 

 

 

 

 

 

どうして?

 

 

 

 

どうして私はこうなってしまうの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考えても考えても今答えが出ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考える。もっと、

 

 

 

 

 

ここ最近ずっと、

 

 

 

 

ふと自分の時間ができて、何かを考えている時、

 

 

 

 

思い出すのはアメリカにいて、誰かと話したことだったり、

 

 

 

フレドニアの大学内で何かをしている時だったり、

 

 

 

 

少しずつの記憶だけど、それでも鮮明に思い出す。

 

 

 

 

誰と何を話したか、どこで何を考えながら過ごしたか、

 

 

 

 

それをずっと考えている。

 

 

 

 

そして、またあの瞬間に戻れたらどれだけ幸せか、今の自分と比較してしまう。

 

 

 

 

 

今がうまくいっていないのは自分のせい。

 

 

 

 

 

私が動かないせい。

 

 

 

 

 

そんなのはわかっていて、

 

 

 

 

わかっているのに、毎日のいろいろに忙殺されて、

 

 

 

どんどん流れていく時間を、一人でただ見つめている。

 

 

 

 

このままではいけない、どうにかして動かないといけない。

 

 

 

 

 

そんな焦りだけが私を締め付けて、

 

 

 

 

 

寝る前の真っ暗な闇の中で私に語りかけてくる。

 

 

 

 

「なんでやることができないの?」

 

 

 

 

「こんな状況でよく生きていられるね。」

 

 

 

 

「誰もあなたのことを見ていないよ。」

 

 

 

 

 

そんな心からの声がずっと私の中で囁き続けている。

 

 

 

 

 

私はそれから逃げるように、

 

 

 

 

必死に別のことをしたり、考えようとするけど、

 

 

 

 

ずべてが空振りでうまくいかない。

 

 

 

 

 

変えなければいけないことはわかっている。

 

 

 

 

 

毎日の生活も、

 

 

 

 

自分の態度も、

 

 

 

 

行動も。

 

 

 

 

 

 

アメリカで、フレドニアで私が得たものは、

 

 

 

 

フィリピンで、ドゥマゲテで私が感じたことは、

 

 

 

 

確実に以前の幼くて何もわかっていなかった私を変えてくれた。

 

 

 

 

私はそれを自分の大事な支えにしなければいけない。

 

 

 

 

 

私が自由に生きるための、

 

 

 

 

周りの人を幸せにするための、

 

 

 

 

 

人生を生きるための。

 

 

 

 

 

 

がむしゃら。

 

 

 

私が迷った時はいつもそう。

 

 

 

 

 

それまでは何も考えずにがむしゃらに生きてきて、

 

 

 

 

ふと気がついた時に、

 

 

 

 

 

自分は今なんのために生きているんだろう。

 

 

 

 

 

それが全くわからなくなって、

 

 

 

 

 

一人で苦しんで、

 

 

 

 

 

 

周りを頼ることができずに、

 

 

 

 

 

どんどん自分が作った壁に囲まれて、

 

 

 

 

 

 

その中で身動きができなくなっていて、

 

 

 

 

 

どうしたらいいのかわからなくなっている。

 

 

 

 

 

 

いつまでもいつまでも。

 

 

 

 

 

 

 

でも私は知ってしまった。

 

 

 

 

 

 

というかちゃんと気づくことができた。

 

 

 

 

 

 

その壁をどうやったら破ることができるのか、

 

 

 

 

 

そしてその後に待っているものがどんなに素晴らしいものなのか。

 

 

 

 

 

 

 

今この状況で、辛くてどうしようもない自分を支えているのは、

 

 

 

 

 

 

 

あの、9ヶ月間の、自分をさらけ出して自由になった時間。

 

 

 

 

 

 

 

誰とでも、どんなタイミングでも楽しく生きて入られて、

 

 

 

 

 

 

誰かの助けになること、自分の得意になれることをすること、

 

 

 

 

 

 

それがいつも楽しくて楽しくてしょうがなかった。

 

 

 

 

 

 

あの時の快感が、今でも忘れられない。

 

 

 

 

 

もっと感じていたかった。

 

 

 

 

 

 

あの時、私の中の全ての感情が喜びにあふれていた瞬間。

 

 

 

 

 

 

誰に気にもしない、

 

 

 

 

 

私は私でいいんだという感情。

 

 

 

 

 

それをもっともっと持っていたいと思った。

 

 

 

 

 

 

ふと、日本に帰ってきた時の自分を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

エネルギーに満ちていて、

 

 

 

 

 

笑顔で、何に対しても楽しいと思える自分になって帰ってきたつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

でも、あれから半年が過ぎて、

 

 

 

 

 

 

日々をすり減らしていくたびに、

 

 

 

 

 

 

ああ、またこの感覚を持たなければいけないんだ。

 

 

 

 

 

 

何も楽しくない、孤独で、

 

 

 

 

 

一人。

 

 

 

 

 

 

 

誰かに会えばそれも薄れるけれど、

 

 

 

 

 

 

本当の私ならもっと輝ける、生きることに喜びを感じられる。

 

 

 

 

 

 

そう思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

だから今の、アメリカに行く前の自分に戻ってしまったようなこの感覚が、

 

 

 

 

 

 

どうしようもなく辛い。

 

 

 

 

 

 

 

私は変わったはずだった。

 

 

 

 

 

 

あの9ヶ月間で、強く、自分らしく生きれるようになったはずだったのに。

 

 

 

 

 

 

 

これじゃまたふりだし。

 

 

 

 

 

 

 

奥のほうでは、何くそ、まだまだ負けないぞって、

 

 

 

 

 

そんな自分もいる。

 

 

 

 

 

その自分になってあげたい。

 

 

 

 

 

 

 

惹かれている。

 

 

 

 

 

今の状態、気持ち。

 

 

 

 

 

全部一回度外視して、

 

 

 

 

 

 

 

私の人生を考えた時、

 

 

 

 

 

 

あまりにも辛い気持ちになって、それがどうしてなのか、よくわかるから、

 

 

 

 

 

 

だからもっと自分の可能性を試したいって気持ちと、

 

 

 

 

 

 

もう少し現実を見なければいけないという気持ちが、

 

 

 

 

 

 

 

ただただぐるぐると回っていて、

 

 

 

 

 

 

それが自分を絡め取って動けなくしている気がする。

 

 

 

 

 

 

 

なんで?

 

 

 

 

 

 

私はなんでこうやって、いつも自分のことがわからなくなるたびに、

 

 

 

 

 

 

 

外に逃げていきたくなるのか。

 

 

 

 

 

 

あの時の記憶たちが蘇って、

 

 

 

 

 

 

それが自分の原点になっているのに、

 

 

 

 

 

 

どうしてもこの現実のしがらみから抜け出すことができない。

 

 

 

 

 

 

惹かれる場所はあるのに、

 

 

 

 

 

それがどうしても自分を苦しめる要因になる。

 

 

 

 

 

 

わかっている。

 

 

 

 

 

 

絶対の自信があるわけじゃないけど、

 

 

 

 

 

 

私がそれを望んでいること。

 

 

 

 

 

 

自分の方向性をそこに委ねたいということ。

 

 

 

 

 

 

 

私は私の道を、

 

 

 

 

 

 

自分で決めて進めるということ。

 

 

 

 

 

 

もう少しのところまでいったような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

私が今の自分を越えるために、

 

 

 

 

 

何かを大事にすることを、

 

 

 

 

 

学ぶために必要な道筋がどんどん決まっていくと。

 

 

 

 

 

 

もし今の自分が考えていることと、

 

 

 

 

 

自分が言っていることと、

 

 

 

 

やっていることが一つに繋がった時

 

 

 

 

 

 

私は自分も幸せにできる。

 

 

 

 

 

そして、必ず誰かも幸せにすることができる。

 

 

 

 

 

 

 

そう確信している。

 

 

 

 

 

 

 

それなら、

 

 

 

 

 

 

 

進む道は決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

夢だけ。

 

 

 

やっぱりそうだ。

 

 

 

 

 

今は何をしても、無駄な気がする。

 

 

 

 

 

やろうと決めることはすぐにできる。

 

 

 

 

 

でも、本当にそれをやり始めるとすぐにできなくなる。

 

 

 

 

 

 

なんで?

 

 

 

 

 

いつも自分の意思に負けて、他のことの誘惑に負けて。

 

 

 

 

 

 

辛い。

 

 

 

 

 

私はなんのために?

 

 

 

 

 

 

誰のために生きているの?

 

 

 

 

 

どうしてこんなに考えても考えても浮かばない答えをずっと考えているの?

 

 

 

 

 

 

私が目指していたもの。

 

 

 

 

 

 

なりたかったもの。

 

 

 

 

 

 

やっていきたいこと。

 

 

 

 

 

 

それが今何も見えない状態で、どこにも進めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

辛いけど、それは自分が作り出した辛さな気がする。

 

 

 

 

 

 

 

まだできないことが山ほどあるのに、

 

 

 

 

 

 

ダメな私はそれを避け続けている。

 

 

 

 

 

 

 

こんなんじゃダメだ。

 

 

 

 

 

何もできない大人にはなりたくなかったはずなのに。

 

 

 

 

 

 

自分で自分の首を絞めている。

 

 

 

 

 

それは本当に、

 

 

 

 

 

 

 

 

いやだ。